神秘の消失、弱者の誕生ー近代社会における女性の権威の変容ー

author:新実理人

前回の議論

男は客体になれないー男性への暴力と主体性の強制ー では

男女の違いを「主体/客体」で捉えたが、本稿では社会にそのような歪みが生じた原因を「権威」という視点から捉え直したい。

まず初めに、男女の権威のもつ性質の差異とその発祥について考察する。
男性の権威には、まず肉体的な力という根拠がある。力が強いから物理的に他者を従わせることができる。そこから家長、支配者となりさらには職業・地位・所得・能力と結びつく世俗的権威へと展開していく。

一方、女性にはそれとは異なる権威が付随してきた。生殖、性、母性などに結びついた、世俗的な力とは異なる「神秘的権威」である。

ここでいう神秘性は、「女性は本質的に神秘的だ」という主張ではなく、合理的な能力や社会的地位には還元できない、畏れや特別視を生む性質を指す。豊穣神が女性表象である場合が多いのもそのためだと考察できるが、本題から逸れるため深掘りはせずにおく。

現代に近づくにつれて、世俗化・合理化が進むことで、権威の根拠は地位、能力、所得、知識、資格など説明可能で可視化できるものへと寄っていく。さらに情報化によって、かつて不可視だった私的な部分までもが露呈する。女性も男性と大差ない言葉を使い、同じように俗っぽい趣味を持ち、欲望を持つことが見えるようになる。その結果、女性を「男性とは異なる神秘的な存在」として見る余地が縮小する。情報化は女性を人間として身近にした一方で、女性を脱神秘化する作用も担った。

しかし女性への配慮そのものが消えたわけではない。神秘性が権威として認識されなくなったため、女性を尊重するための特別性が女性を弱者として規定することによってしか説明できなくなった、というわけである。
世俗化が女性の神秘性というものを食い破り、社会的弱者性という後付けの説明が花開いたのだ。

しかしながら、神秘的権威はそのものへの不可侵性を与えるが、それに対して弱者保護はそれ自身の無力性を前提とする。「弱者」というカテゴリーは、配慮を正当化する一方で、その属性を持つ者を他者と異なる存在として固定する。そのため、弱者保護は、差別をなくすものでもありながら、同時に差別を再生産する契機にもなるのである。

男性の場合、肉体的な力を根拠とした権威が、現代社会においても「強さ」「能力」「責任」「自立」といった形で世俗的に翻訳され続ける。そのため男性は、実際に社会的な力をもたずとも、「権力のある側」という外観を与えられやすい。その結果として男性の脆弱性は見えにくくなる。

男女の不平等は、男性がより多くの権威を持っているから生じるのではなく、男女に付随する権威の性質が異なりそれを現代社会が非対称に評価することから生じるのである。

したがって問題は、単純に「どちらを優遇するか」ではなく、何を権威の根拠として認めるのかというより根源的な問題である。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です