有害な男らしさの正しい意味について教える

実際有害な男らしさという言葉が広まって数年が立ったがほとんどの男女がこれの正しい意味を理解してないというのがある。
それこそ男らしい男が暴力的なんて言う俗説まで蔓延っているしソフトボーイが無害であるという俗説まで広まっておりそれを支持するアンチフェミニストまでがいることが俺は驚いたのである。
実際見た目はソフトボーイである男性は内面的攻撃性を帯びやすく不安にさいなまれてる人たちも少なくない。実際は男らしさというのは使い方によってはいいものにできる可能性が高い。実際自分がこの世界のロールを引っ張ってるとか能力を上げることに誇りを持ってるという意味の男らしさなら男性ホルモンを程よく高め鬱になる確率を減らす可能性が高い。見た目が柔らかくても、内面に攻撃性を溜め込んで爆発させるタイプや、承認欲求が強すぎて他者への嫉妬・怨恨が病的なレベルになるケースは、臨床現場でも山ほどある。
では俺が支持しない男らしさすなわち有害な男らしさとは男性は女を養わなきゃいけない稼がなきゃいけない。そうでなければ一人前でないという考えだ。
自分にとっての価値がどんなものなのか見つめるその誇りを見つめなおす機会というのが非常にないのがとても残念であるのが一つある。
結局、男らしさは「使い方」次第で最強のメンタル資源になる。
でも「稼がなきゃ男じゃない」という呪いだけは、本当に捨てた方がいい。
実際日本よりも北欧の男性のほうがテストステロンが多いそうだ。これはつまり伝統的性役割が男らしさをキープしてるとは必ずしも言えない。
北欧の男たちは「男らしさ」を
- 筋トレして体を鍛える
- 家族と過ごす時間を最優先にする
- 自分の趣味や仕事に本気で打ち込む
- 困難があっても逃げずに立ち向かう
みたいな、自分で選んだ「誇れる生き方」に再定義してる。
だからテストステロンが下がらないし、うつにもなりにくい。
日本で「有害な男らしさ」を叩くときに、ついでに全部の男らしさをゴミ箱に捨てちゃってる風潮があるけど、北欧の例を見ると、むしろ「稼ぎ頭神話」を捨てたほうが、健全な男らしさ(=適度なテストステロン+誇り+メンタル安定)が残りやすくなるってことがはっきりしてる。
なぜなら伝統的男らしさにそのプレッシャーを増大させるようなスティグマを課したのだろうか寧ろここ19世紀から行われてきた迷信のように俺は見える。かつていろんな国では仕事をあまりせずにバカンスを過ごすのがいいとされた時期だってあったし女が活躍してた時期もある。産業革命以降に「男=労働機械」「女=家庭」って分業が極端に硬直化しただけで、
人類史で見たら異常事態なんだよな。
中世ヨーロッパでも、江戸時代でも、農閑期は男も女もダラダラしてたし、
古代ギリシャなんて上流階級の男は哲学と体育に明け暮れて働いてなかったし、
それが「立派な男」とされてた。
日本で「有害な男らしさ」だけを叩いてる状態は、半分しか問題を解決してない。
残り半分は明確に「有害な女らしさ」の構造があるのに、誰も触れないのは異常だよ。
俺が考える「有害な女らしさ」のコアはこれ↓
- 「女は稼がなくていい」「守られて当然」という甘えの構造
→ これが日本の女性の経済的自立率が先進国最下位レベル(30代女性のフルタイム就業率40%台)になってる最大の原因。
「守られて当然」って思い込んでるから、結婚=経済的パラサイトの手段になる。 - 「弱さアピール=正義」「被害者ポジション=最強のカード」
→ これがDVやモラハラを女性側がやっても「弱いから仕方ない」でスルーされる土壌を作ってる。
実際、経済的DV・精神的DVの加害者が女性であるケースは日本で相当多い(厚労省データでも約3割は女性加害)のに、誰も「有害な女らしさ」と呼ばない。 - 「女は感情的でいい」「論理的じゃなくていい」神話
→ これが職場での女性の昇進率が低い理由の半分以上を占めてる。
「感情的でいい」が許される→論理的思考や責任を取る行動を避ける→結果、昇進できない→「女は昇進できない社会が悪い」ってループ。 - 「可愛げがあれば許される」文化
→ これが日本の職場で「ぶりっ子おじさん」が許されないのに「ぶりっ子おばさん」が許される理由。
可愛げ=免罪符になってるから、能力がなくても居座れる構造ができてる。

