これまで差別の名のつく本を読んできたが、差別の定義のある本とない本があって、

例えばヘイト本には差別の定義が書かれている本は管見のかぎりほとんとない。
定義がないのにどうして差別を語れるのか不思議ではある。
そのなかで「差別の哲学入門」(2021,アルパカ、池田喬 (著), 堀田義太郎 (著))には差別の定義がされていた。

差別の不利益テーゼといいます。


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【差別の不利益テーゼ】差別とは、人々の間に何らかの特徴に基づいて区別をつけ、その一方にのみ不利益を与える行為である。

「その一方にのみ」という箇所が気になる。
わたしの言葉で差別を定義するとこうなる。

差別とは、人々を、ある属性であることによって、その一方に不利益を与える行為である。

上記の定義によれば男性差別はあるということになる。
なぜなら男性は属性だからである。

たとえば、女性の男性へのDVが増えてきている。

以下は令和 3 年 3 月内閣府男女共同参画局の男女間における暴力に関する調査 報 告 書<概要版>の頁6の図表「同居する交際相手からの暴力の被害経験」である。

総数257人のうち、女性は166人、男性は109人である。

だいぶ変化してきたがDVは男性=加害者、女性=被害者という偏見があるが実態は異なることがわかる。
女性よりやや少ないが男性も女性からDVを受けているのである。

以下のように男性への偏見のツイートがまだまだあるのである。

DVはつらいものでもあると思うのだが男性だとDVをうけたこと自体を男性のせいにするツイートがまだまだ「支持」を集めてしまっている。

したがって、男性差別は複雑な様相を呈することになる。
男性への不利益(男性差別)は否認・否定されることが多いのである。

この現象をフェミニズム(女性主義)の「ガラスの天井」をもじって「ガラスの地下室」という。

すなわち、男性差別がガラス張りで一目瞭然なのだが「地下室」におしこめられているので「ないことにされている」という意味である。

怒りを覚えざるをえない。
上記のツイートは男性が男性を差別しているのだが、女性が男性差別を否認するツイートも多い。

したがって、我々男性は声を大にして男性差別の存在を日本社会に訴え、定着させていかなければならないのである。

2025年11月19日の国際男性デーに連帯したデモを、わたしが暫定代表をつとめる「男性解放の会」は敢行したが、それも男性差別の否認に抵抗する試みの一つなのである。


男性差別の存在の否認がされないような日本社会にするために、このような試みを何度もつみかさねていきたいと思っている。