家父長制?いやいや「家制度の幻影」

家制度は、もうない。旧民法によるもので、今の民法のもとには存在しないものだ。しかしながらその家制度が今もあるかのように考え振る舞うという『家慣習』は健在だ。なんとか家代々之墓ってのが今も存在するというようなことを筆頭に山ほど残っている。お父さんにあいさつして娘さんを僕に下さい、とは今はさすがに言わないだろうが、特に父親にあいさつするというのは家制度がまるであるかのような家慣習に他ならない。
これが男性、いや言い直した方がいい。長男を直撃する。
家制度があったころは家督を相続して戸主、家長となり家庭内で権力を持ち、同時に重い責任を負う。その権力の方はなくなったにも関わらず長男は長男らしくあれ立派になれという重圧だけが残っているのだ。たとえば、きちんと男子をもうけてその長男も立派に育てよという圧力がかかる。育てられる段階で兄弟や姉妹に比べて多少ひいき気味ではあるにしても、長男であることのデメリットは計り知れない。「男は男らしく」という男性差別の核とでも言うべきものが重くのしかかる。その家が何代も続いた酒蔵だの呉服屋だのならまだ分からないでもないのだが、サラリーマン家庭であってもこういった家慣習は根深い。
家制度のない今長男のすべきことなど、せいぜい墓そうじと法事の仕切りぐらいしかありはしないのだが、なぜか長男なんだから立派になれと言われる。
大正生まれの筆者の祖母は、娘や孫娘が結婚した場合「結婚した相手の家の人間になった」として、なんだかよその人扱いするようになっていた。自分が「結婚相手の男の家に入る」という結婚を経験していて、それ以外の考え方はできなかったのだろう。これも家制度のような家慣習だ。
実例を挙げればきりがないが、20代の若者だって油断はできない。親世代が祖父母世代や曾祖父母世代から家慣習を受け継いでいてもおかしくはないからだ。
とにかく、家制度はもう存在しないし、慣習化した幻影に過ぎない。うまくやれている人はそのまま続ければよいが、苦しいのだったらいつでも放り出せばよい。強制力を持った法制度ではなく、慣習でしかないのだから
(MEP/めぷ)
