日本の「アンドリュー・テイト」はミサンドリスト(男性憎悪者・男性蔑視者)だ。

まずアンドリュー・テイトとは何者なのか?

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%86%E3%82%A4%E3%83%88

元キックボクサーでインフルエンサー。

X(ツイッターのアカウントは@Cobratate。

そのミソジニー(女性蔑視・女性憎悪)的な言動で英米の若者に支持されている。

Netflixのドラマ『アドレセンス(2025年3月13日)は主人公13歳の少年が同級生の少女を殺害した容疑で逮捕された事件を軸に、その背景にある現代社会の問題(特にオンライン上の有害な影響)を探るイギリスのクライムドラマ(リミテッドシリーズ)であって、タイトルの『アドレセンス』は「思春期」を意味し、少年がアンドリュー・テイトのような男性至上主義的なインフルエンサーの影響を受け、「マノスフィア」(男性中心のオンラインコミュニティ)の思想に傾倒していく様子が描かれている。

2025年3月13日にNetflixで配信が開始されると、たちまち世界中で話題となり、各国で視聴ランキング1位になるほどの社会現象を巻き起こしました。イギリス国内では、本作がきっかけでSNS規制に関する議論が再燃したほか、学校での上映が提案されるほどだった。

アンドリュー・テイトは社会現象になっているぐらい有名なミサンドリスト(女性憎悪者・女性蔑視者)だ。

日本と欧米の文脈の違い

欧米ではフェミとアンチフェミが殴り合いで泥仕合してる。アンドリューテイトの過激で女を所有物扱いする過激な言説に対抗するために過激なことを繰り出すという言い訳は通ると俺は思ってる男叩きをしても。しかし、日本ではその理論は通らないと思っている。

この理由をしっかりいうと日本でのミサンドリストと欧米のミサンドリストの戦ってるものが同じものではないというのが一つあるが同時に日本のミサンドリストとアンドリューテイトの親和性は無視できない


1. 欧米の泥仕合は「対称的な殴り合い」だから、過激な男叩きに「言い訳」が通る欧米(特に英米)では

  • アンドリュー・テイトみたいな過激ミソジニストが実際に女性を「所有物」「金目当ての雌」「男に従え」って公然と扱ってる
  • 彼らの言説が学校での性差別、キャットコール、DV助長、果ては犯罪にまで繋がってる証拠が山ほどある
  • だからフェミ側(あるいはミサンドリー寄りの人)が「男はクソ」「オス滅べ」レベルの過激男叩きをしても、「あいつらの過激ミソジニーに比例した反撃だ」「言い訳が通る」って社会的に許容されやすい

要は、リング上でテイト側がパンチ出してるから、フェミ側も同じくらいの強さで殴り返してる構図。泥仕合だけど、少なくとも「両者とも過激」って前提が共有されてる。だから「男叩きしすぎ」って批判が出ても、「テイト見てみろよ」ってカウンターが効く。


2. 日本ではその理論が全く通らない理由

日本では、欧米のような「明確な敵(過激ミソジニスト)」がほぼ存在しないのに、ミサンドリー側だけが一方的に殴ってる状態だから、「言い訳」が成立しない。

  • 日本男性の大多数は、テイトみたいな「女性は所有物」「女は男に従え」なんて言わないし、行動にも出さない
  • むしろミソジニーどころか、過度に我慢強くて優しくて、妻の経済的暴力すら「笑い」で済ませる文化
  • テレビ・ドラマ・アニメで男が一方的に殴られたり貶されたりするのが「可愛い夫婦漫才」として定着してるのに、男側は反撃すらほとんどしない

つまり、リングに相手がいないのに、ミサンドリー側だけが空振りパンチを連発してる状態。「テイトみたいな敵がいるから過激にならざるを得ない」って言い訳が、日本では通用しない。敵がいないのに男を物扱いしてるだけだから、ただの片一方のヘイトに見える。


確かにま~んとか言ってるアカウントや女は劣等種という投稿は日本でもあるが別に女は所有物と言ってるような投稿はほぼ見当たらない


しかしミサンドリストはお小遣い制を嘲笑したり自殺を甘えとか行ったりしてるし当然道徳的には許されないことではあるがそれに関してはアンドリューテイトとほぼ理論が重なるわけ。テイトは「男が稼いで女を守るのが当然、女は忠実で処女で聞く耳持つべき」って言うけど、日本のミサンドリストは「男は金出して女を養う義務、女は甘えて選ぶ側」って主張。これはまさにコインの裏表。

欧米ではテイトの言説が実際の性差別や犯罪に繋がってる証拠が山ほどあって、それに対する反撃として過激フェミが許容されやすいけど、日本では「敵」がいないのに男叩きだけが目立つから、ただの片一方攻撃に見える。

日本のミサンドリストの特徴

日本のミサンドリストには一つヤバい特徴がある。それはホモフォビアが横行してることである。アンドリュー・テイトがよくやってるようなヘイトと同じやり口をやっている。
しかも、そのヘイトのやり口が、テイトをはじめとする欧米の過激ミソジニストと驚くほど似ている。

具体例を挙げると、日本のミサンドリー強めのフェミ垢やコミュニティでは、以下のような発言が日常的に見られる:

  • 「ホモ」「オカマ」「男同士でやってろ」といった差別語の連発
  • ゲイ男性を「女になり損ねた男」「気持ち悪い」と嘲笑
  • BL(ボーイズラブ)は大好きだけど、現実のゲイ男性は「汚い」「近寄りたくない」と明確に区別
  • 「男が男を好きになるなんて理解できない」「オス同士で勝手にやってろ」と排除的な態度

これ、欧米のリベラル・フェミニズムでは完全にタブーだ。 LGBTQ+権利はフェミニズムの基本前提で、ホモフォビアを発言したら即座にコミュニティから追放されるレベルで叩かれる。


それにもかかわらず偏見を治すどころか開き直り男は女のために尽くすべきでそれが当然だという高慢な態度というのを長年してきたのだ。女叩きが先に始まったという歴史にしたい人は多いがそれは大嘘だ

日本のネット空間の歴史を少しでも遡ればわかるが、 2000年代後半〜2010年代の2ch・ニコニコ・初期Twitter時代から、 ゲイ差別語は、フェミ垢に限らず広く使われていたが、 特に女性ユーザー層(後のミサンドリー層の源流)で「男叩きの道具」として定着していた。
男同士で勝手にやってろというようなゲイの性的趣向を侮辱するような発言が当たり前に横行してるのが日本の言論空間であった。
日本はまさに特殊な国でありミソジニー批判の海外の文脈が全く当てはまらないどころか逆効果になるのは確実なことである。
なぜならミサンドリストのほうが露骨なヘイトを日本ではしてるからだ。
そして圧倒的な陰謀論の量などは明らかにネトウヨのレベルといい勝負になることもある。「すべての男が潜在的加害者」「男の自殺は甘え」「家父長制がすべてを支配」といった極端な一般化、 根拠のない数字の捏造まさにこれが正論であるかのように伝えられる。

日本でのジョイナー理論の受容の誤り


そしてもう一つはジョイナーの本(『男はなぜ孤独死するのか 男たちの成功の代償』)への曲解が当たり前に行われてるというのがある。これはアメリカの文脈で正しいデータがあるから言ってるのであって日本での話にはならない。

https://amzn.asia/d/5gMUl6S


2011年の本『Lonely at the Top: The High Cost of Men’s Success』だはそもそもの話をすると日本語訳としては頂点にいることで起こる孤独:成功した男性の代償という感じになる、それを男たちはなぜ孤独死するかっていうことで男叩きの文脈を強めてることがある。それはアメリカの文脈ではどんなものかを見ていくと

  • 男性は社会的に成功・地位・金・権力・自律性(autonomy)を過度に重視する傾向が強い。
  • これが若い頃はメリットになる(キャリアアップ、経済的安定)。
  • でも、その過程で人間関係を犠牲にしがち。友人関係を維持するための努力を怠り、家族や友人も「仕事優先」で後回しにする。
  • 結果、50〜60代以降になると、頂点に立ったはずなのに周りに誰もおらず、深刻な孤独に陥る。
  • Joinerはこれを「頂上の孤独」と表現してる。高地位の男性ほど、驕り(pride)や「自分は一人で大丈夫」という過信が、人間関係の投資を阻害するって指摘。

それはしかし日本では到底当ては起こってるのまらないというのがある。日本ではその地位が高い男性が甘やかされるとは真逆のことだ。

アメリカでは地位の高い男性は周りに甘やかされてそれが孤独を招く男性の地位向上志向が友人関係を阻害してるという内容だったがこれは日本では該当しないというのが要注意だ。


決定的に違うのは何かというと日本では恋愛や結婚、家族との関係が友人関係を阻害し孤独にするという構図がある。アメリカでは家族がセーフティーネットである可能性はあるが日本ではそれが全く機能しないのだ。


例えばアメリカ人の家庭では仕事を失っても再チャンスが与えられる可能性があるので助けを求めれば助かる可能性がある。しかし日本ではそれが全くないまま妻から見捨てられるのが確定事項になってることが多い。日本では家族こそが最大の敵になる
要するに、日本では家族こそが最大の敵になり得る構造ができあがっている。家族を養うために友人関係を犠牲にし、結果として家族からも切り捨てられる——この逆説が、男性の孤独を極端に悪化させている


ではなぜこれが起こるかというと妻がこれを望んでるからだ。まず最初に奥さんや彼女は自分にだけ貢いで時間を使ってくれることを望んでいる人が多いのでまず恋愛を通じて友達を失い結婚してさらに時間が経過して友達をなくすという二重構造になる。
では友達がいないことは悪いかというと人によってはそっちのほうが楽な人もいるし孤独が好きな人もいる。それについては止めないしいいと思う。


しかし、俺が話してる本質はそこではない。友人がいなくて奥さんや恋人、家族が支えて幸せですという家族はまだいいだろうしかし日本では愛されないし性的にも阻害され使える金は相手に主導権握られてしまうというのが当たり前で男には主権がないのである。
この時点で男が悪いというような理論が破綻してるのは当然であると言える。当然だがそういう社会の水面下では人間関係の破綻は必須だ。

日本のミサンドリストは「アンドリュー・テイト」と同類であること

今までは日本のミサンドリストについて語ってきたので今回はなぜアンドリューがミサンドリストと共通してるのかについてをさらに深彫りしていく。


ミサンドリストは男が重労働するのを当然だと思ってるがアンドリュー・テイトは男性側の立場で戦争の代わりに金を追って友人関係を阻害させるような考えやストーリーを媒介して有害なツールになっている。
実際にアンドリューがもたらしたのは犯罪率の増加だけではない。male loneliness epidemicは実際は男の地位が下がったとかそういう話とか経済的要因に片付けられる話ではない。実際に人の不安を食い物にしてそれは心をむしばむコンテンツがあってそれは友人を作らず女を追うことばかりを追い求めるようになる。
そういう理由もあって俺としては性役割を拒否する。

日本は確かに理由もない男性ヘイトを繰り出した女がいてそれへのカウンターで女叩きがあるっていう考え方にはうなずけるし女のほうが積極的に男への冒涜をしてるというのは事実である。これをいうと欧米でも男叩きしてるからっていう反論は来るが実際はそんな話ではない。日本では男性差別のほうが深刻である証拠はあるが西欧ではないっていうのが大事なポイントだ。男性差別がないとか言う話ではなくて女性への差別も深刻であるというのが西欧で日本は男性を明らかに抑圧してると言える。男性が男性を苦しめてるというレトリックをいうことはできない。


確かに日本でのリスク回避は日本の女への拒否だとかそういうリスクヘッジで何とかなると言いたい人はいるがそれを実行できる意志の強い男性が少ない。
まず結婚したらお小遣い制になり大学生より貧困な生活を強要されるというのは筆頭だがそれだけではなく尊厳をぶっ壊されるのが当たり前で幸せとは真逆であるというのがある。

実際には男性のほうが不利な法律が西欧よりも多いというのがある。

まず一つ目にいえるのが父親の育児する権利がほとんどないということだ。これはどういうことかというとこの国の女の人はあまり育児をしたがる男性にチャンスを与えず育休制度を無駄にするような重労働してる男性ばかりを選ぶという行動に出た。内閣府の調査でも経済的に安定してる男性を選ぶ傾向がある。
Xの議論でも、「日本の男性は育児に向いてない」との偏見が散見され、父親の参加を阻害する声がある
西欧諸国では多くの女叩きの人たちはフェミニズムのせいにするけど、有害な男らしさ(感情抑圧、競争強要)が原因。テイトは「女性が男性を拒絶するから孤独だ」と煽り、解決策として女性支配や金儲けを推奨。これが女性叩きを正当化し、ミサンドリー(実際はカウンターとしてきてる)を「先取り」して攻撃する形になる。男叩きが先にあったというという言い訳はもはやきかないというのがある。

「アンドリュー・テイト」とツイフェミとウヨアンフェの共鳴

さて、三つには共通点がないと言われてるし逆の概念だと思われてる方は多いが図にすると重なる価値観がある。

アンドリューテイトは純潔主義や男の金稼ぎを価値だと言い張り女の処女性に価値を置くプロパガンダを振りまいてる。しかし、ツイフェミの議論もまたセックスしない女を美しいと崇拝するプロパガンダが多いが性行為を痛みしか感じないというのは生物学的事実という陰謀論とヤリマンは穢れてるというウヨアンフェの考え方というのは重なるところがある。

確かに一見セックスの議論するときに真逆の主張をしてるように聞こえるが決定的な違いは一つだけである自分とのセックスだけを気持ちよくなってくれるか出産目的以外セックスしたくないかだけだ。

どちらも女性の自由な性的選択(快楽目的のセックス)を否定し、純潔主義で縛ってる。違いは「誰のための例外か」だけ——男性中心か、女性被害者性中心か。

ベン図のように利害が多少一致してる関係なのが多いので敵同士であるという解釈がそもそも間違いであるではもう一つ決定的なのは彼女たちは別に社会に出て管理職もらうことを美徳と思ってないということなのだ。社会進出を「男性社会の強制」としてネガティブに捉える言説が目立つ。管理職を目指す女性を「ついていけてない」「優遇されたいだけ」と皮肉ったり、賃金格差や危険作業免除を問題視するけど、結局女性のキャリアを積極的に美徳化しないというのが当たり前にある。つまり彼女らとしては管理職の男性に仕事を押し付けるべきというのを内包してるというのが正解でこれはアンドリュー・テイトが女性の社会進出はフェミニズムの陰謀であるとか専業主婦で家を守るのが仕事であるとか言ってその役割を固定することに固執してるって意味では同じものである。フェミニズムの名の下で社会進出が停止されるというのは過去にも起きてきたがそれを再び再現されることを止めることを始めなければいけないのにそれを気が付いてない人が多い。過去にどうやって社会進出が止まったかというと女性対象の労働禁止法を可決させることだ。
日本の場合: 1911年の工場法で、女性と未成年の深夜業を制限。目的は女工保護だけど、繊維産業中心の女性労働者を守るはずが、雇用チャンスを減らし、男性中心の労働市場を固定化した。

戦後、労働基準法でも時間外労働(1日2時間/年150時間制限)や深夜業禁止が女性に適用され、1985年の男女雇用機会均等法成立まで残った。これらが見直し・撤廃されたのは、女性保護が差別を生むと認識されたから

というのが一番大きいのだがそれがもう一度起こる可能性が今上がってきてるからこそもう一度考え直し今まで歩いてきた道を止めないことを選択しないといけない。ジェンダー平等を望むならそこと闘うことは避けられることではない

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です