性差の嘘を一から暴いてみる その1 日本で言われる男と女の言う好きは違うという嘘

日本の男女界隈では性差という言葉が間違って使われていておりこれが正しい部分もあるが大抵の場合は正しい使われ方をしていないというのが実態だ。

まずシリーズの第一話とするのが男と女の言う好きは違うという都市伝説は成り立たないということである。男の好きは性欲、女の好きは感情というような嘘だったらまだいいがもっと最悪な嘘がこの世には存在する。

なぜならそれは好きじゃないのにメリットがあるから一緒にいるということを自白してることと同じになるからだ。基本的に愛情は性欲やムラムラなしには存在しえない。性欲の強度には個人差がある。しかし「完全に絡まない」と断言するなら、それは“好き”ではなく、安心・利便性・社会的メリットなど別の動機を“好き”と呼び替えている可能性がある。

最近女の人から女性は好きでもない人の裸見てムラムラとかないですよね。むしろ見たくない好きな人でも見たくないとかそういうツイート発せられた。その“好き”は、一般に想定されている“恋愛的好き”とは異なるカテゴリーの可能性がある。

なぜかというと性的に惹かれる男性というのに恋愛感情持つというのが一般的に好きという真の状態であって片方をすっ飛ばすということは本人に欺く意図があるかは別として、概念としては混同が起きている。

アンチフェミにもここでは問題がある言説をいっぱい言ってる。そもそも最初から言うと男女関係なく性欲はムラムラするものがある。しかし、負の性欲とかいう眉唾的言説があの人たちの間で信じられてる。女性が魅力的でない(=アウト判定した)男性に対して抱く強い生理的嫌悪・拒絶感情そのものを性欲の一種」として捉えてる概念があるがこんなの全くの嘘だ。

嫌悪や拒絶は、欲望とは構造が異なる。欲望は対象に向かう引力であり、接近衝動を伴う。

一方、嫌悪は対象から距離を取ろうとする斥力である。方向性が逆である以上、それを同一のカテゴリーに含めるのは理論的に無理がある。この論理の裏返しが好きを性的感情なくていいよねという風に納得してる部分だってあるのかもしれない。

つまり、

  • 嫌悪すら性欲の一種だと拡張する側と
  • 恋愛から性欲を完全に切り離す側

は、対立しているようでいて、実は同じ構造の上に立っているのかもしれない。

「強い感情である」という一点だけで性欲の一種と見なすなら、怒りや恐怖すらも欲望に分類できてしまう。それでは概念が無限に拡張し、説明力を失う。

好きという感情の根源にあるものには身体性と切り離しにくいものがあるこれはエロスというし以前もいったことだ。
他者に惹きつけられ、触れたい、近づきたい、独占したいという衝動を含む、生の方向性そのものである。この身体性を完全に排除した恋愛概念を作ることは可能かもしれない。

しかしそれは従来意味されてきた「恋愛」とは異なる別物になる。もしかしたらエロのないパパ活と差異のないものになるかもしれない。現実として性嫌悪的な恋愛の分だけ貢ぎ文化が相関してるというのはデータでも説明できなくもない。

(masa)

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