なぜポリコレの意味は恣意的に使われるのか?

俺は確かに彼らの言う不満や映画の表現に関する干渉だったりすることに対する指摘はわかる。
しかしこの原因はポリコレという単語だけでまとめていいのかというとそうは思わない、白人至上主義の延長的な部分というのも複合してることも多いからだ。
例えば、ポリコレの意味というのはあくまでも人種、障害、性別、宗教などに関する偏見というものや弊害をなくしていくこと、そういう人がトラウマを思い起こさないために配慮するという意味でつかわれることが多かった。
本来こういう配慮は創作や政治においての表現の自由をぶっ壊すとこまで干渉するべきではないしここは別の軸でやっていく必要があった。
しかし、一番問題なのは多様性叫んでる人自体がポリコレに違反的な表現を支持してることと多様性を全否定する人間の価値観の二極化が現在進んでいるということがいえる。
例えば映画で有色人種を多く出すことはその人種への配慮であるという解釈でポリコレという人は多い。しかし、有色人種を出演させることも適用法によっては白人至上主義のプロパガンダに使えるということを俺は教えておきたい。
例えば、醜い有色人種を多く出してみようそうすると白人の方が優れてるというプロパガンダに使えることもある。
例えば美しい黒人女性というのはWWEとか陸上の方が多く出場してるが映画ではあまり見当たらずマミー像がかなり推進されるというのが一般的だ。これらは多様性を掲げながら、結果として逆効果を生んでいる典型例だ。
つまりこの偏見を解消するのをやっていかないといけないわけで白人至上主義のプロパガンダに引っかかるのは得策とは言えない。
前回の記事では白人主義について書いたがこれは白人が一番という意味で書いたわけではない。アジアの美的感覚に対抗するために必要な価値観としての話題であることが遥かに作用として強い。
ところで少し話題を変えるが日本ではポリコレがあると言われてるがこれもどうなのかというと表向きそういうアピールしてる共産党や立憲は実は意外にも保守的な政党であることは知られてない。選択的夫婦別姓や同性婚などではリベラルな立場を取るのはまだいい。しかし、ジェンダー的には保守的で性の解放や共同親権にはかなり後ろ向きであまりにも左派の姿としてはあるまじき政党である。
また、彼らの擁護してる在日コリアン運動もナショナリズム的な側面が存在してたりする。もちろん、中にはナショナルアイデンティティ的な側面からやってる運動もあるが反日プロパガンダに関しては意外にも韓国のネトウヨ的な価値観が元になってることもレアじゃない。
この二つは何が関係あるのかというとポリコレを全否定するよりもこの手の名を借りた人間たちの保守的な部分を指摘することに一番意義があるということが最も大事なメッセージだ。
(masa)
