ルッキズムのその先へその3

今まで書いたのはルッキズムが俺の人生にどう結果を及ぼしたか国によってどう作用するのかを描いたが今回はルッキズムの中でも自分が好きな継投嫌いな系統がどう共通項で描かれているのかを焦点当てていきたい。
自分が好きな男性と女性では共通項があり明確な違いを引き当てることは難しいと考えているが些細な違いも当然存在する。
例えば自分はボーイッシュな女性は行けるが中性的な男性は行けなかったりするし。セクシーフェミニンな女性は好きだがフェミニンすぎると色気が枯渇してしまうのを感じている。
男性性と女性性は融合しててもいいケミストリーを生み出すと俺は考えている。
例えばマッチョがエロいのではなくてジェイソンモモアやクリスヘムズワースの様に可愛かったりワイルドだったりする顔立ちがマッチョの体を引き立てるという風に考えている。
そのため、自分にとって魅力とは男性性や女性性そのものではなく、それらがどのようなバランスで共存しているかによって決まるのかもしれない。
今回の記事では、その感覚を掘り下げながら、自分の美意識がどのように形成されてきたのかを考えてみたい。
例えばかわいくて華奢な男性が無理なわけではないが俺はショタ系と中性的な男性は天と地の差があると思う。
おそらく自分の中では、ショタ系の魅力は男性性が未成熟な状態から生まれるものであり、依然として男性性の延長線上に存在している。
一方で中性的な男性は、少なくとも自分の感覚では、その男性性が希薄化しているように映る。
その違いが、自分の好みを大きく分けているのかもしれない。
これは自分がロリ系を嫌ってるのと同じ理由なのかもしれないと気が付いてきたこともある。
かわいい女とロリ系には明確な違いがあるがそれが混同されたまま議論が進んでいる。
少なくとも自分にとっては、「かわいい」と「幼い」は同義ではなく、その境界線はかなり大きい。
かわいいとは大人であっても持つことのできる要素で合ってセクシーでフェミニンな女性でもマッチョなゴリラの男性でももつことのできる要素だ。
笑顔が素敵だったりリアクションがなんか、あどけなかったりする部分が漏れるこれ自体はロリ系である必要はない。
だからこそ、自分は「かわいい女性」と「ロリ系の女性」を同じカテゴリーとして捉えることができないのかもしれない。
同様に、「かわいい男性」と「中性的な男性」も自分の中では別の概念として存在している。
ロリ系とジャニーズ系の男性というのは女性性を故意的にマキシングして自分の男性性を殺すことで魅力が半減してるようだった。
例えばスカイラー・グレイはアンドロジナスなルックスをしてるがチャーミングで魅力があるように両性の共存を殺すよりも飼いならす方が重要である。
(masa)

