不感症フェミは一般的なフェミニストよりも社会のがんになる可能性を秘めているpart2

前回はthe power of sexual surrenderという名書の感想文を書いていきそれが現代の解釈とどうずれてどこが賛同できるかをフラットに書いていった。

今回の記事というのは日本の性嫌悪社会への批判を書いていきたいと考えてる。

前回でも出てきた4つの不感症の分類というのは何度見てもすごく勉強になるものがある。

それは何かというと完全不感症と心因的なものや部分的なものは質の改善によって何とかできる部分がある可能性を秘めているということで完全不感症というのは救うことが難しい状況であるということだ。

完全ではない不感症というのは人間関係の不和、体調の変化などもあって男性にも見られるタイプの不感症であることも多く生活習慣や人間関係の見直しで起死回生はできるということである。

しかし、この日本で蔓延してる不感症というのは完全な不感症に近く膣内でイケないからクリトリスや膣以外への刺激で代替えできるとかそういうものではなくて男性の寄り添う部分というのの貢献度で起死回生出来る確率が高くない可能性がある。

不感症という事象自体はそんなに問題ではなくてそれを機会に恋愛ではなくて違う手段で友達との関係を楽しみますとかそうなるのであれば俺は止めることはしない。

しかし、日本ではこの致命的な状態が恋愛離れにつながってないケースも多くむしろ、不感症と貢ぎ男性のカップリング成立で冷戦状態になるケースも目立つ。
つまり男性の性的姿勢の怠慢が必ずしもないというのが事実である。男性はセックスをしたくてもできない。

つまりドンドンポルノでのオナニーの需要を増やす。その結果膣内射精障害が増えるがそれが皮肉にも人生の障害になってないというのがある。
そしてその射精障害を認識するのが妻や彼女じゃなくて風俗なのが異質だ。

その状態である男が女の性欲というものが何なのかを語ることはできないのは当然の帰結であるがその男たちの陰謀論は男性の性的問題の解決を阻害してるという事実も存在する。
例えば女は男より性欲を認識できないという論理は日本で存在するがこれは半分少し訂正が必要で女は確かに男よりも潜在的な性欲というのが男性よりも割合占めてることもあるが比較的強い人というのはそれでも認識をするのである。

だが、日本の女のマス層の性欲の不在を認識するという結論に至ることができないため解脱を阻害してる。

たまに性嫌悪のツイフェミが男性の体はエロくないとかいうがこれについてアンチフェミの中ではイケメンなら例外になるという人もいる。

しかし、これはお前が大沢たかおレベルのイケメンだからって発情されるとかそういう意味ではない。

ブラジルの不細工のほうがセックスしてるというのが事実であると受け入れる時が来た。

これについて根拠を聞く人はいるだろう。

しかし、日本で頻繁にセックスしてる割合はイケメンの割合より低いということだ。

どういうことかというと女は上位三割の男性を魅力的であると認識するが実際の性的マッチングはその割合よりも低いのである。これはカップル成立と別だ。

しかし、このような事態はフェミニズムを主体に起きたことだけで説明できるのだろうか?

この答えはイエスな部分とノーな部分がある。フェミニズムであっても女性の潜在的な性欲や主体性を開放するための主張をしてるところはいる、だがそれはフェミ的思考を生み出すのが性嫌悪というへの反例でもないのだ。

フェミ的思考というのはフェミニズムから生まれるものではない。実際は不感症、悪意、搾取欲求などいろんなものが混ざって生まれるものでそれは必ずしもフェミニズムを介在してないというのがある。

これはフェミニズムが絶対に善だという話ではない。

しかし、日本の家庭でボスをやって財布を握ってるdv加害者はみんなフェミニズムを勉強してるのだろうか?

そんなことはない。自然にそのような思考回路が人生経験の蓄積によって形成されてるに過ぎない。

セックスが嫌いな状態だと相手を信用せず損得で異性を選ぶようになる。

つまりこの臨床心理学的な切り口で見るのがもっと必要になる。
もちろん日本のフェミニストがそういうのに目をつぶってる責任はあるかもしれないが一般的な女のニーズがその利権を助長させてるというのを無視することはできないのである。

つまり、フェミニズム自体よりも性嫌悪女そのものがセックスポジティブ運動やLGBT権利などの運動を殺しに行きそこのいきつく先というのが日本社会のデストピアであるのだ。

(masa)

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