たのピク擁護と非モテへの失望

今回のたのぴく論争本当にモテない男が考えるいい女というのを思って本当にげんなりした。

俺はほんとにこの論争を見てげんなりした点はいっぱいある。

まず一つ目は日本の美的感覚に抗うことをやめ、男性の人権に興味がないというアンチフェミを可視化させただけだった。
まず、この美的感覚がどう男性の人権と関係あるのかという質問が来る。しかし俺が問題にしてるのは以下のことだ。

日本で起きている金目的お小遣い性旦那拘束文化は世界トップで親密さがない関係でも世界トップだが同時に日本の美的感覚はロリ系や幼さ、芋臭さを基準にしたものが多く洗練されたエレガントな魅力、大人の色気エロい要素というのが度外視されてるということだ。

勿論、定量の研究がまだ完全になされてる話じゃないというの意見もあるが世界各国の美的感覚見ていくとセックスの多い国やお小遣い性の少ない国で日本と同じ基準の美的感覚を所有してる国は存在しないというのは知られてない。

例えばセックスと親密な関係が多いことで知られるブラジルは曲線美やグラマラスな肉体、セクシーな魅力が求められる。フランスに求められるのは大人のエレガントさや自然な雰囲気であり造られたような可愛さではない。スウェーデンは健康的でアスレチックな魅力が求められる。

このように日本よりも性事情がまともな国、お小遣い性の少ない国というのにたのぴくの美的感覚が該当する国家は一つも存在しない。お小遣い性が多く美的感覚が比較的近い韓国は日本よりレスが少ないが美的感覚は童顔よりでありながらも日本よりは遥かに大人の魅力が求められる。洗練されたデザインも好まれたり完成された魅力が好まれる。
たかが美的感覚と思うかもしれない。しかし、問題はそこにはないというのが事実だ。

その性癖が引き起こす選択肢の狭まりによって健康的な関係を手に入れる機会を失ってしまうことだ。

この論争の最大の問題は、一枚のイラストに「理想の妻像」や「ダメ嫁像」を過度に投影し、複雑な人間関係を極端な二元論に落とし込んでいる点にある。

実際はたのぴく好む人の理由として語られるのは加害しなさそう、笑顔になれる安心するだ。
支持側がよく挙げる理由は「加害しなさそう」「笑顔になれて安心する」というものだ。安心感や情緒の安定が重要なのは確かである。しかし、そこにはベビースキーマ(大きな目や丸い顔などの幼い特徴に反応して、守ってあげたくなる心理的傾向)の罠が潜んでいる。実際、チンパンジーでさえ他の群れから餌をもらうために「無害アピール」を使うように、人間社会でも「無害です」「可愛いです」というアピールは、保護や資源を得やすくするための戦術として機能しやすい。

支持側が好む「情緒の安定」や「加害性の低さ」は確かに大切だ。だが、それを「要領の悪さや幼さを無条件に受け入れること」とイコールにしてしまうと、相手の成長や関係の深化を最初から放棄しているに等しい。無難であることと、本当に楽しく深い関係性は、往々にしてトレードオフの関係にある。

安全を優先しすぎると、刺激や相互の向上、性的・情緒的な親密さが削がれやすいのが現実だ。

結果として、たのピク的な美的感覚を強く優先する人は、選択肢を自ら狭め、低要求・低親密さの関係に落ち着きやすくなる。

それが、日本の親密さの薄さやお小遣い制文化と無関係だとは、俺には思えない。

(masa)

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