女子枠 ー結果の平等と「作られた選好」ー

今日の大学入試では、固定観念によって進路を狭められている優秀な女子生徒に選択肢を広げるためという名目で「女子枠」を設置するケースが急増している。
前提として、男女の空間認知や興味・職業選好などには差異が報告されている。特に「物・機械・システムへの興味」と「人・対人関係への興味」には比較的大きな違いがある。
では、その興味の差は生まれつきなのかといわれると、当然、単純に生得的なものとはいいきれない。
家庭、学校、文化、メディアなどが、個人の趣味嗜好や得意分野の形成に影響する。
しかしながら、その興味が作られたものだからといって直ちに変えるべきだとはならないだろう。
人間の好みが社会によって形成されること自体、女性の進路選択に限った話ではない。家庭も学校も文化も、常に人格を形成する要因となっている。そもそも、社会によって形成された人間を、社会から完全に切り離して「本来の姿」に戻すことは不可能なのだ。
その「本来の姿」というのは、どんな人間も必ず何かしらの社会に属することから、まったくの幻想にすぎないといえるだろう。
女子枠の根底にある問題は、社会による趣向の形成を拒否するあまりに国家が介入し、より強い構造の再生産を行なっているというところにある。
これはただ規範の方向を反転させ、それを延命させただけである。
解放のために作られた制度が、別の望ましい女性像を作り出してしまうことになる。
国家がそれを担えば、新しい女性像は入試制度や教育制度などを通じて女性を支配することとなるのは当然である。
社会によって形成された趣向は、それだけでは是正対象にならない。
問題にすべきなのは、その形成過程に性別による強制・排除などの不当な制約が存在する場合のみである。
今後、これらのことを念頭において制度設計をしていかねばならない。
(新実理人)

