ミソジニーは西洋の陰謀でミサンドリーは東洋の陰謀である

この記事を書くとフェミニズムは西洋発祥じゃないかという反論が来るが俺なりに根拠のある考察をしようと思ってこの記事を書くことにした。

そもそもミサンドリーとミソジニーっていうのは性別を嫌悪したから無条件に成立するというものではない。
実際に男性は稼ぎ手で働く機械であるべきっていうのがミサンドリーであって男嫌いは男嫌いである。

筆者は日本の女が嫌いであることをはっきりと公言しているが自分はミソジニーのプロパガンダ自体に乗っかるという気はさらさらない。

例えば特定の人が嫌いっていう事象までは差別ではない。極論いえば特定の属性が嫌いでも暴力やヘイトスピーチをしてなければいいようにね。しかし、そのヘイトを使ってこの人はこうすべきとか役割を押し付ける行為と結びつくというのが差別の根源である。

例えば女が大嫌いだ、黒人が嫌いだ、男が嫌いだ、白人が嫌いだの時点ではただの感想だが男は金稼ぐべき黒人に医者はできない女は家にいろとかっていうのが差別発言というものである。
この二つのはっきりしたものとかロジックというものを理解してからこそ初めてミソジニーとミサンドリーについて語るということが可能になる。

実際に彼らは属性を落とす行為をするが役割や自分の支配できるような状態にするような願いというのが根幹にある。

ミソジニーは西洋からの陰謀であるとタイトルで言ったがこれには理由がある。西洋にはミソジニーの言説や保守という名前を装って女性の役割を固定するコンテンツがいっぱいある。これはアンドリューテイトが初めてやったわけではない。

むしろ、今までアップデートしきれなかった残骸というのがオルトライトやインセルと形を変えて増殖してきたものの積み重ねである。西洋では女性は財布を所有する権利がなかったりと不利な過去がありそれを見て自分が不利になってると感じた男性がいるというような状況が起きている。

一方で東洋、特に日本においては、異なる形での構造が見られる。ここではミサンドリー的な要素が、明示的な嫌悪ではなく、社会的役割として組み込まれているケースが多い。

例えば、男性が主に経済的責任を担うべきだとする規範や、親密な関係性においても経済的負担が男性に偏る構造は、現在でも多く観察される。これは男性からよりも女性から発せられてるのが見られる。

それこそ日本と西洋のミサンドリストとレッテル張られてる人を比較すればわかる。西洋ではI hate all menが多いのに対して日本では金出さない男はミソジニーという主張や男に金なければ何もないみたいな主張が多いというのがまさに大きな差である。前者は感想で後者はまさにミサンドリーだ。これらは一見すると伝統的な役割分担のように見えるが、個人の選択を制限し、特定の役割を強制するという点において差別を再分配することには大きく貢献するのがある。

興味深いのは、西洋においては歴史的に女性が経済的権利を制限されてきたのに対し、東洋では家庭内における資産管理や家計の主導権を女性が握るケースが多く見られる点である。
このような違いは、単なる文化差ではなく、性別に対する期待や役割の非対称性が異なる形で現れている結果と考えられる。
つまり、西洋では女性の不利が問題化されたのに対し、東洋では男性の行動や役割に対する制約が見えにくい形で存在している可能性がある。

(masa)

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