困難男性支援法は理論上は多くの日本男性を包摂する。

必要があって困難女性支援法を読んでいる。
正直、おどろきましたね。
読んでみ、すごいから!
俺がいいたいのは困難女性支援法を困難者支援法に改正するだけでかなりの数の日本人男性を包摂できるってこと。
だって至れり尽くせりだよ?
困難女性支援法への驚き
https://laws.e-gov.go.jp/law/504AC0100000052
第一章 総則
(目的)
第一条 この法律は、女性が日常生活又は社会生活を営むに当たり女性であることにより様々な困難な問題に直面することが多いことに鑑み、困難な問題を抱える女性の福祉の増進を図るため、困難な問題を抱える女性への支援に関する必要な事項を定めることにより、困難な問題を抱える女性への支援のための施策を推進し、もって人権が尊重され、及び女性が安心して、かつ、自立して暮らせる社会の実現に寄与することを目的とする。
(定義)
第二条 この法律において「困難な問題を抱える女性」とは、性的な被害、家庭の状況、地域社会との関係性その他の様々な事情により日常生活又は社会生活を円滑に営む上で困難な問題を抱える女性(そのおそれのある女性を含む。)をいう。
凄すぎる…
「女性」を「男性」に変えて読んでみ?
というかいまの状態では困難な問題を抱える女性への支援に関する法律(以降は、困難女性支援法と書く)は男性差別的な法律ですけどね。
(基本理念)
第三条
三 人権の擁護を図るとともに、男女平等の実現に資することを旨とすること。
困難女性支援法第一章第三条の三ですでに己が己を裏切っていることが書いてある(笑)
人権の擁護を図るとともに、男女平等の実現に資することを旨とすること、とあるけど「困難な問題を抱える男性」への支援なんてほとんどないんだよね。
フェミニズム(女性主義)とチン騎士に任せておくととんでもない男性差別社会が実現してしまうといういい例だ。
俺ら「男性解放の会」は「困難男性支援法」をつくるか「困難女性支援法」を「困難者支援法」に改正することを目指すことに決めた。
第二条 この法律において「困難な問題を抱える男性」とは、性的な被害、家庭の状況、地域社会との関係性その他の様々な事情により日常生活又は社会生活を円滑に営む上で困難な問題を抱える男性(そのおそれのある男性を含む。)をいう。
この定義でどれだけ多くの日本人男性が「救われる」「包摂される」か!
困難な問題を抱えるおそれのある男性を含むんだからね。
例えば、お小遣い制で日本女性から搾取されている男性も入るよ。
お小遣い制と困難男性
我々、「男性解放の会」は2025年11月19日に「お小遣い制は経済DVだ」とコールした。
https://president.jp/articles/-/47414?page=1
2021年の筒井淳也氏(社会学者・立命館大学教授)の記事を見ると日本と韓国は女性が男性を搾取する夫婦が多いことがわかる。

だまだ、男性が稼ぎ頭の家庭が多いのに手当(妻管理)の家計55.7%と過半数で世界一の女尊男卑国な訳、日本は。
韓国もなかなかの女尊男卑ぶりだが、フィリピンに2位の座を譲っているがどうもフィリピン人男性はあまり働かないみたいだ(詳細はわからないけど)
高給取りの男性が月3万の小遣いで昼飯も交際費も娯楽費も賄うというのが女性差別的だったはずの「昭和」なんだよ。
どこが女性差別的なんだと思う。
月3万でコンビニ弁当で我慢してフルタイムで賃労働してる夫の妻が、友達とホテルの優雅なランチを楽しんでいるなんてよくある光景だったでしょ?
つまり、昭和(ISSP/世界価値観調査の2012のデータなんだから昭和どころか平成ですが)は男性差別的な社会だったともいえる訳よ。
日本の女性主義者(フェミニスト)が理想化するスウェーデンなんて家計は共同管理が52%な訳。

スウェーデン、ノルウェー、アイスランド、フィンランドら「人権先進国」を理想化するなら女性主義者(フェミニスト)に都合の悪いデータもみなければならないんだよ。
最新のISSPではマシになっていると思いますけど今はまだ「お小遣い制」がガラパゴス日本の「悪習」なわけ。
なので
困難女性支援法の性別を変えただけで「家庭の状況」で稼いでいるのに月3万しか自由になる金を妻に渡されず、妻に搾取されている日本男性は差別されているということになる訳。
あとは、給与や稼ぎが少ない男性ね。
生活保護費(東京だと13万5千円ぐらいだ)よりは収入はあるが、月収が20万には届かない男性とか。
もちろん生活保護受給者男性も「困難男性」に入るよね。
その他にも妻に子供を連れ去られた男性も「困難男性」にはいると思う。
この辺は様々な「困難男性」をまた書いてみたい。
困難女性の範囲と困難女性支援法の「革命性」
「困難女性支援法」は革命的な法律な訳。
革命的に男性差別的な法律でもあるけど(笑)
で、更にカバーする範囲がすごい。
地方公共団体はもとよりその関連団体、さらに、(緊密な連携)第六条 で以下の機関が困難な問題を抱える女性への支援のために関係機関との緊密な連携が図られるよう配慮しなければならないわけ。
福祉事務所
児童相談所
児童福祉施設
保健所
医療機関
職業紹介機関
職業訓練機関
教育機関
都道府県警察
日本司法支援センター(法テラス)
配偶者暴力相談支援センター
ぜんぶ、困難女性支援につかえる訳。
その結果、都道府県に1個ある女性相談支援センターが窓口(ハブ)になって「関連機関」を使える法律になっている。
こんな状況ですよ。
https://www.pref.kanagawa.jp/docs/m8u/prs/r7546333.html

たとえば、この「わたしのお家(うち)」はDVから逃れた女性用ではないのでわかりやすいと思う。
2.対象者
日常生活又は社会生活を円滑に営む上で困難な問題を抱えている女性で、配偶者暴力被害者が加害者から追及を受けるといった身体・生命の危険がなく、所在を秘匿する必要がない方(県全域から受入れ)。
なので「社会福祉法人久良岐母子福祉会(県委託事業)」と県から委託を受けた事業者の名前も表に出している。
3.利用者は、その意思を尊重され、通勤・通学、スマートフォンの使用など、地域とつながった社会生活を送りながら、心身の健康の回復のための支援、自立して生活するための行政手続きの同行支援、就労や居住確保に向けた支援、見守り支援等を受けることができます。
俺はいま、「男性解放の会」で40人くらいの規模のグループチャットをやっているんだが、ドヤ街的な家に住んでいる男性もいる訳。
スマホは許可されているが、門限があってとかいろいろ制限がある。
「わたしのお家(うち)」のページをみると制限なんかないよね。
男性差別は深刻なわけ。
そのほかにも妻に実子を誘拐された夫は「困難男性」の範疇にはいると思う。
「困難男性」の範囲はこれからも書いていきたいと思う。
「男性解放の会」は2026年の3月に「困難男性支援法」実現デモをやることに決めた。
日本男性はどうすれば「人間」になれるか
俺自身も2017年にうつ病にかかって以来、生活にはえらい苦労してきた。
なので困難男性支援法をつくれば(もしくは困難女性支援法を困難者支援法に改正すれば)もっと男性に優しい国、男性の「人権」が認められる国がつくれると思うんだよね。
俺は不思議なんだがアンチフェミニストといわれるネットの男性の発言をきいていると男女共同参画を廃止してしまえという意見をよく読むんだよ。
そんな金持ってなさそうな男性も同じなわけ。
そうじゃないでしょ。
発想を転換して、女性=人間という思想を転換して、男性も人間であるという方向にいくべきと思う。
リベラル女性主義者(フェミニスト)の方針は「女性も人間の範疇に入れろ!」だったよね。
それがある意味、逆転してる訳よ。
日本男性は「人間」ではなくされているわけよ。
よく知られているがフランス革命で成立した「人権宣言」では人間(man)=男であって女は「人権」(human rights)から排除されていた。
欧米の…英語は変な言語で女性はwomanなんだよね。
femaleもそうだけどmale(男)のサブセットなんだよ。
日本は違う。
漢字でも「男」「女」とベースが男ではないよね。
言語の影響というか社会・歴史が欧州では男=人間と考えられてきたからと思うんだけど。
それかあらぬか、リベラル女性主義者は人間に女を入れればいいという思想のため、ラディカルフェミニストやマルクス主義フェミニストから批判を受けてきた。
日本フェミニストと「上野千鶴子」は男性の「ブラックボックス」を認識できるか?
リベラル・フェミニスムは近代市民社会の人間観、自然権思想をもとにしている。水田さん(*水田宗子のこと)自身の『女性解放思想の歩み』[1973]を代表とするリベラル・フェミニスムの思想史的検討は、この「天賦人権」を与えられて「自由で自律的な個人」が、男性しか含まないリベラリズムの性差別を暴き、批判することに捧げられてきた。その点では彼女のいうとおり、リベラル・フェミニスムは、近代とともに誕生し、その誕生の時から近代批判の思想として成立したことは事実である。だが、リベラル・フェミニスムは、なぜ男性に与えられた「人権」が、女性にも及ばないのか?という問いには答えられなかった。(p446)
上野千鶴子『家父長制と資本制』岩波現代文庫版、自著改題より(2009年4月)
上野千鶴子の「家父長制と資本制」(1990)は面白くてまだ全部よみきっていないのだが岩波現代文庫版は2009年に出ただけあってアップデートされていてさらに面白い。(この文章を書いているのは2025年の12月だから14年前になる)
どんどん引用してしまいます。
わたしだけに限られないが、リブとそれにつづく第二派フェミニズムのリベラル・フェミニスムに対する一種の冷淡さは、第二派フェミニズムが、女性の法的平等を獲得した後に成立したことと深い関係がある。女性に人権があることを疑うものはもはやだれもいない。だが、形式的平等が達成されたたとにも、根強く残る実質的不平等の原因は何か?この問いにリベラル・フェミニスムは答えるための理論的装置は、存在しなかった。そればかりか、「自由で自律的な個人、しかも自己決定できる個人」からなる契約社会である市民社会はほかならぬリベラリズムであり、リベラル・フェミニスムはリベラリズムの基本前提を共有するものと見えた。第二派フェミニズムは私的領域を問題化することで、このリベラリズムの公私の分離規範そのものを性差別の根拠として問い、私的領域に囲いこまれた者が「自律的個人」となりえないメカニズムを暴くことで、リベラリズムの人間観に挑戦したのである。
「困難女性支援法」が日本で成立したのもわかる気がする。
たしかにリベラリズムの「人権」思想は、それを人種や階級、ジェンダーを超えて拡張することで「平等化」する傾向がある。アメリカの公民権運動はそのような「平等化」の成果である。だが、「人権」を主張するには、すでに人権を認められた者たちと「同じ人間」であることを証明しなければならない。リベラル・フェミニズムはそこで隘路に陥る。「同じ」であることを証明するためには「差異」を否認しなければならず、「差異」を認めれば「同じ」であることを断念しなければならないというあのおなじみの「平等か、差異か」のディレンマに立たされるからである。
だからドゥルーズは「強度」を言ったんだろうね。
上野千鶴子も『差異の政治学』(岩波書店、2002年)のち文庫(2015))で書いているのかもしれない。
でも弁証法を敵視したドゥルーズとは違うでしょう。
マルクス主義を自称しているので。
近代フェミニズムはその成立の初めから、この「平等か差異化」のディレンマを孕んでおり、したがってフェミニズムにとっては近代とどのような関係を結ぶかはつねに逃れることのできない踏み絵となってきた。この問いとまともに格闘してひとり。江原さん(*江原由美子)[1995]は、「平等か、差異か」は近代が女におしつけた「疑似問題」だと喝破する。同じことをジョアン・スコット[Scott 1996]は「フェミニズムのパラドックス」と呼ぶ。オランプ・ド・グージュ以来のフランス・フェミニズムの足跡を負いながら、彼女はフェミニズムは近代に対して、「ただパラドックスを提示するOnly Paradoxes to Offer」ために登場したのだと、深いため息をつく。近代にとってフェミニズムがそのようなパラドックスだとしたら、逆にフェミニズムにとって近代とは、自身が股裂きになるほかない特に解けない問い、支持を与えることも不支持を与えることもできないダブルバインドな問いだったのである。
でも、それをいうなら「日本」が「欧米近代」に対して「フェミニズム」と同じ立ち位置だよね。
この辺はフィンランド人が「釣り目」ヘイトを「アジアン」にやらかして炎上していて、我々「日本人」が「怒っているのか怒ったフリをしているのか」よくわからない「ディレンマ」ではある。
また、日本男性が「欧米男性」と「対等」ではなく、「欧米女性」とはかろうじて「対等」だと言えるということとも関係がある。
じゃあ、日本女性…日本フェミニストは欧米とどういう関係にあるかというと…まあ日本男性より「対等」ではない。
しかし、実は欧米女性も日本女性も「男性の弱者性」を男性から指摘されれば、転倒されてしまう。
フェミニスト(女性主義者)は男性の「弱者性」を認識していないんよ。
認識して利用できるとこは利用している感じではあるが。
「男性の弱者性」を否認してるから「困難女性支援法」をつくって「困難男性支援法」をつくれない…男性差別的な行動をしてしまうんだ、日本フェミニストは。
なので、とりあえずは我々は「困難男性支援法」をつくらなきゃならない。それか「困難女性支援法」を「困難者支援法」に改正する必要がある。
「男性の弱者性」ってのは「近代」の巨大なブラックボックスなんだよ。
「ブラックボックス」を埋めてはじめて我々日本男性は「人間」になれるんだね。
がんばろー(笑)

