売春婦より悪魔的な日本女との恋愛事情

日本の恋愛は全てとは言わないが多くの事象を売春に例えることが不可能じゃないサービス返納義務がない風俗というべきなのかもしれない
例えばソープなら数万円払えばセックスも絶対できるし会話の時も恋人気分にさせてくれるかもしれない。しかし、実際の恋愛にはそのような義務は発生しない。実際にデート行ってもセックスできずに不発に終わるだけではなくソープランド通い詰めるより金がかかるかもしれない。

実際売春婦を一般の女が批判する資格があるとは俺は思ってない。その理由をいくつか申し上げる。売春婦はサービスを提供するギブ&テイクができる。しかし、一般の女の中でそいつらを馬鹿にしてる層はいるがそれよりもさらにあくどい戦略を繰り返す。

俺は一般的に恋愛を売春に例えたことはないしセックスを感情のつながりでできることは美しいことだと思ってるしかし、向き合わないといけない問題がある。多くの日本の恋愛は売春より美しいどころか汚いという事実を


相手のことを好きじゃないのは風俗でも恋愛でも日本では差がないが違いは返納性のある取引か帰ってこない取引であるかというだけだ。もちろん風俗でも客に恋したケースはいるしすべてのケースがこうですなんて言う気はない。しかし、相手が好きじゃない場合は取引になるのは同じである。
もちろん、恋愛感情がなくてもカジュアルなセックスをするがその場合はどうだろうか?セックスしてないカップルより感情では繋がってる可能性もある。

なぜなら好きという感情はセックスが嫌なほど嫌悪してる相手には生まれないというのは綺麗ごとではないからだ。もし、セックスできないならラブラブな演技をされていると疑ってかかるのが吉だと俺は考えている。むしろ、セックスが可能なレベルで身体的・性的に受け入れられることが、感情の土台になる。

俺はこれはセックスだけがすべてだから言ってるんじゃない身体的親密さやスキンシップ、性的快楽を共有できることが愛情を作る必要なキーであるという意味で言っている。これは「セックス至上主義」ではなく「身体性のリアリズム」の話になる。

もしセックスなしの愛が存在するとしたら同性の友人だと俺は思っている。しかしそれは友情的愛(philia)に近い可能性がある。恋愛的愛(eros)は身体性と切り離しにくいなのでエロスを演じた愛情には大きな代償が付いて回るのは明白である。

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